ネットショップ「ひとてま堂」でご覧いただいている作品には、それぞれ短い文を添えています。言葉をじっくり考えていると、どうしても初めから短く書くことが出来ません。またページの都合上、その全文を掲載しきれないこともしばしばです。こちらのコラムではその文章のぜんぶと、言葉にまつわるお話など綴っています。
三日月と満月のオブジェにそえる言の葉

分からないままに

こちらは、ネットショップひとてま堂「三日月と満月のオブジェ」のページに掲載した文章のぜんぶです。
弓みたいなカタチ、実みたいなカタチ、そして輪っかみたいなカタチが並んでいます。
名前には「三日月と満月」、たしかに月のように見えなくもない。
しばらく眺めていると、今度は固まったマグマのような鈍い黒色の質感や、
やや斜めに立っていることが気になってきます。

何か分からないものだから、何にでも見える。
オブジェというのは、はっきりとした用途はないものの、意外と自分がいまどういう状態なのか、
ということのバロメーターになってくれる気がします。
まずはいつも目に映る場所に置いて、ただ日々を一緒におくってみます。
そうしていると、たまたま見た時間、その一瞬の気持ちや体調などによって、思いもよらないものに見えてしまったりする。

分からないものを分からないままに、そっとおいて、めでる。
何だろう、いまこの季節、私には何に見えるだろう?何が見えているだろう?

海のそばに暮らしていると
潮の満ち引きが気になります。
月と地球が引き合う力がはたらいて、
海面の水位が目に見えて上下する。

台風が近づいて、
潮位表と天気予報とをにらめっこ。
大潮と高潮が重なれば、
黒い海面がみるみる近づいてきます。

中心気圧950ヘクトパスカル、
空気が海水を吸い上げる。
風速40メートル、
風が沖から吹き寄せる。

風向きを見て雨戸を閉め、
電気があるうちにご飯を炊きます。
月と地球が綱引きするとき、
おにぎりを握ってラップをかける。

台風一過、
月と地球と太陽が並んだような
オブジェを棚にそっと置いて、
千億個の星がつどう太陽系の片隅で
そよぐ潮風をかいでいます。

海のそばに暮らすこと

倉敷市は、その広い南の縁を瀬戸内海に接しています。海は当たり前の存在で、そばで暮らし、働いている多くの人にとって、ふだんは意識すらしないものでしょう。すっかり慣れっ子で、潮の香りも感じないという方が、ほとんどかもしれません。とは言え、台風が近づいていると聞けば、それぞれの場所や状況に応じた準備をはじめます。
義父は潮汐表という冊子を机に置いていました。その年の満潮と干潮の時刻と潮位が予報されているもので、今はインターネットで見ることも出来ます。たとえば、新月や満月のときは、満潮と干潮の差が大きくなる「大潮」になります。そのため、義父は天気予報と潮汐表から、台風が大潮の日に重なっていないかを確認していたのです。そうしたちょっとしたことも、海のそばで暮らすことの日常の一部だな、と感じます。
どんなに備えや予測をしていても、時には大きな被害が起きてしまうのが自然です。ただ、潮の満ち干きや、風の力、むかし理科で習ったよう気が・・・ということの仕組みを、あらためて自分の暮らしに近づけて理解しようとすると、ずいぶん役立つ気がします。
参照したサイトをご紹介しますので、興味がわいた方はチェックしてみてくださいね。

●気象庁「潮汐の仕組み」、じっくり読んでみると、月と地球と太陽、それぞれがおよぼし合う力の大きさに驚きます。

月をめでる

9月は台風も気がかりですが、お月見の季節でもあります。
満潮と干潮を引きおこすほどの、つよい引力を持った月を、人間はつぶさに観察するとともに、同じくらいめでて鑑賞してきたのです。
月は本来カタチを変えずいつもあるわけですが、地球からみた月と太陽のならび、かたむきによって、さまざまに相を変えます。新月、三日月、半月、満月、ある方角・見る時間・気持ちや体調によって、私たちはそれらにさまざまな情趣を感じて、のぼるのを拝み、しずむのを惜しんだりする。
特に旧暦8月15日の満月は、中秋の名月として、多くの人たちが月見を楽しみます。ただそこにあり、そのときどきで光る月を、十三夜(じゅうさんや)、十五夜、十六夜(いざよい)、立待月(たちまちづき)、居待月(いまちづき)と、風雅な名付けまでして待ちのぞみ、見送っていくこのひとつき。また翌月、同じようにめぐってくるとしても、そうなのです。
太陽系の中で地球に一番近い天体であり、唯一人が降り立った地球以外の星。ある意味、大きな大切な鑑賞物ーオブジェとして、月をめでているのかもしれません。
「三日月と満月のオブジェ」、この作品の何か分からない不思議な引力、まんまるな月に照らされたら、何に見えるでしょうか。