
たましまあるき その2
民の戸を まもるや世々の 羽黒山
かげしく海の ふかきちかひに
澄月
(和歌拙訳)
この地に住む人たちを 代々にわたって守っていることだろう 羽黒山は
その山影(=お蔭)が広く映る海ほどに 深い誓いを立てたのだから
瀬戸内海は島だらけです。
小さい島々がつらなる美しさを「多島美/たとうび」と形容したりします。「たとうび」、聞き慣れない言葉ですが、ひらがなにするとどことなくかわいい。
倉敷市玉島も名前のとおり、もとは内海に浮んだいくつもの島でした。1600年代に行われた干拓事業によって、だんだんと陸地化して、今のような町が形作られました。「柏島」「乙島」「勇崎」「黒崎」など土地の成り立ちに由来する地名がたくさん残っています。
はじめにご紹介した和歌は、1700年代に活躍した玉島出身の歌人、澄月がよんだものです。「羽黒山」というのは、この地域の氏神様である羽黒神社のことで、”その山影が広く映る海”と当時の風景をうたっています。影が映るくらい、海に近いところに神社があった、ということがうかがえます。
歌の詠まれた300年前を想像するのは、なかなかむずかしいことです。もう少し時間をすすめて1937年、今から95年前にに出版された「玉島要覧」口絵(上図)をみてみます。すると、帆掛け船が泊まっている港近く、石垣の積まれた高台に、たくさんの松の木に囲まれて神社がたっている様子が描かれています。たしかに海に近い。これなら絵の中の小さな舟がやって来るのも、きっと社から見えたことでしょう。
急な坂の参道をのぼりきって、境内からあたりを見渡しても、今は屋根瓦が波のようにかさなって、海は遠く見えにくくなりました。それは澄月が想いを馳せたとおりに、この山のおかげをこうむって、町が発展したから、と言えるかもしれません。家並みのすき間に見え隠れする瀬戸内海は、ずっと穏やかにキラキラかがやいています。
※「たましまあるき」で掲載する地図は少し分かりにくいかもしれません。お店の位置などを頼りにゆっくりあるいてみてくださいね。
ネットショップの作品撮影を神社でさせて頂きました。
その様子はこちらで→ ひとてま堂/出会う時間「羽黒神社で撮る」
