溜川排水機場

たましまあるき その3

倉敷市玉島は、瀬戸内海に浮かんだいくつもの島を、干拓事業によってつないで出来た土地だと、前回のたましまあるき2に書きました。

少し高いところ(例えば円通寺というお寺が見晴しがよくてオススメです)に登って、このエリアを見渡すと、市街地にぽこぽこと小山が見てとれます。たいてい木々が茂っているので、遠くからでも何となく分かります。それがおおよそ、元小さな島だった場所です。

そしてその中でも、「乙島」と「柏島」という比較的大きな島があり、そのあいだが、細長い、ここはまだ川なのかな?と思うような様子の、玉島港となっています。東岸が乙島、西岸が柏島で、陸続きとなった今も、地名に島の名をとどめています。

町の中で、川と海とをへだてているのは水門です。水門のあっちが海水でこっちが真水。海に最も近い位置には、大きな水門が築かれています(上の写真がその一つの溜川排水機場。白壁造りの建屋が乗った棟が二つと、大きな機械室があります。海は見えませんが、手前に写っている方が真水側になります)。また、そもそも海だった土地には、井戸を掘ることが出来ません。飲み水や田畑をうるおすために、川からの真水を引き込む必要があります。あちこちで取水と排水を調整するために、町のいたるところに水路が造られ、小さな水門がたくさん存在しています。

その中には、むかし使われていたけれど、今は使われなくなったものが、遺構として残っている場所も少なくありません。石柱だけが残っているものや、橋と一体になっているもの、ほぼ朽ち果てて形さえ定かではないようなものもあります。普段なにげなく歩いている道も、実は水路に蓋をした暗渠(あんきょ)だったりします。住宅地や商店街の途中で突然水路があらわれて、はて?となることもしばしばです。

現在は「水門(すいもん)」と読みますが、古くは「水の門(みなと)」と読んで広く港湾を指す言葉でした。ためしに古語辞典で「みなと」いう言葉を引いてみると、漢字表記として「水門・湊」などと掲載されています。川や海などの水の出入り口のことを「みなと(水門)」と言っていたものが、波をふせいで船を安全に停められる所という意味も表すようになり、今は一般に「みなと(港)」と言う漢字が使われるようになったそうです。

玉島だけでなく、島国である日本の沿岸各地で、古代から河口や入江といった天然の地形が、大波や嵐といった自然災害から身を守る避難場所として、利用されてきたのでしょう。そののち時代が進むにつれて、人間は本当に門をつくって水を堰き止め、潮の満ち干や川の小さな流れさえ活用して、自然とともに町を造り上げてきたのです。

海と川、その二つが交わるまさに「水の門(みなと)」であるその場所を、高台から見晴るかすもよし。まるで血液のように、町中を行きわたる水路をたどって、水門を見つけて歩くもよし。水辺に目を向けてみると、玉島の町が少しちがって見えてくるかもしれません。

※「たましまあるき」で掲載する地図は少し分かりにくいかもしれません。今回は干拓以前の島だらけだったころの一部をイラスト化しています。うすく色のついているところが現在の陸地です。皆さんも想像してみてくださいね。

玉島港の歴史については、倉敷市玉島支所のこちらのページが詳しいです。
→みなと玉島空間/玉島港町クロニクル「元祖、玉島は海だった。」

地図イラスト

古い水門の遺構は町のいたるところに点在しています。中には江戸時代から残っているものも。
スリット状に溝のある石柱は「樋柱」と言うそうで、溝に木板をはめて、水を堰き止めていたようです。
さまざまに加工されて、積まれた石をみていると、人力しかなかった時代に、知恵と工夫で何とか自然とともに生きようとした、玉島の人たちの姿がよみがえってくるような気がします。