海じゃなかったの・・・?

月に一度行く林医院で薬をもらいがてら、昔、この町にあったらしい芝居小屋について聞いてみた。
残念ながら芝居小屋のことは詳しく聞けなかったけれど、奥から先生がこの本を持ってこられて、「読んでごらん」と貸してくださった。

すごい!こんな本があったのか・・・。
本は昭和30年ごろに作られたもので、ところどころ手描きの地図も掲載されている。ところが、西暦ではなく元号で書かれているので、歴史に強くない私には時代がつかみにくかった。でも内容はかなり濃い。

この一帯は大昔、海の底だったんだろうと思っていたが、そんなところばかりではなかったらしい。
本に古墳や貝塚のことが出ていたので、試しにネットで調べてみたら、意外と近くにあった。しかも何か所も。
驚いたのは遺跡として名前は残っていても、現在は上に家が建っているような場所もあるということ。
思わず知ったかぶりをしたくなるような、トリビアな話である。

他にもわからない言葉をネットで調べていると、この町に興味を持っている人たちのサイトにいくつも出くわした。
文面からここいらへんに住む人ではなさそうだが、外からこんなにも熱い視線が注がれているのかと思うと、
ここに住んでいることがちょっと誇らしくなる。
・・・住んでいる私たちは、その方たちほど熱くないのだけれど。

ほんの7、80年前の芝居小屋を知りたかっただけなのに、この本のおかげで、ずいぶん遠くの時代まで行ってきた。
ところで、肝心の芝居小屋のことだが、残念ながら書かれていなかった。

<おまけ>

正福寺の山門は、下津井城の城門の一つを元禄7年(1694年)に移築したもの。それが今でも残っていることに感動。

屋根の上にハトが乗っている。左のは座っていて、右のは立っているハト。

それからもう一つ。

こちらは静光寺の山門。天城陣屋の総門を移築したもの。

天城陣屋は現在の天城高校野球部グラウンドのあたりにあった。今は「お茶屋のあと」と書かれた石碑が立っているが、これは天城陣屋を「お茶屋」と呼んでいたため。
茶店のことではないので、念のため。

こちらは屋根の上に桃。
この桃はたぶん魔除けなのだと思う。

岡山だから桃!
・・・じゃないですよ、きっと。(笑)

書いた人:たぐちりつこ